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6月, 2012の投稿を表示しています

世界のニュースが身近になる日は来るのだろうか

1981 年末ごろだったと思うが、シカゴのホテルのテレビでCNNを初めてみた時の衝撃は今でも忘れることが出来ない。 その時の感動は、我国のテレビ、ラジオ、新聞等我国の所謂大手メディアに対する期待にも繋がった。 しかしその期待は見事に外れて、 30 年以上たった今も、CNNの様な日本のメディアは無い。 世界中に情報収集網を広げることは日本人には不得手である。 しかし、世界各地の情報を収集して配信する欧米の大手通信社からの情報をリアルタイムで流すことは出来るだろうに、費用の問題か、メンツの問題か或いは自らの存在価値が無くなると思うからか、視聴率を取れないからなのか、理由は分らないが、それらの通信社から最新情報を入手して国際的な出来事を出来る限り速やかに報道しようとする我国メディアはない。 本日のCNNは、午後 8 時過ぎから大凡 1 時間かけて、コマーシャルを一切入れることなく、スーチー女史のノーベル賞受賞演説の模様をライブで放送していた。 しかもロイターがライブで配信している映像を使っての放送だ。 実際にノーベル賞が授与されたのは 1991 年、軟禁状態にあった女史にはスピーチなどできようはずもなく、釈放された今ようやくノルウェーを訪れることが出来た。 21 年後の今日聴くスピーチ、とても素晴らしい内容だと思う。 途中、東京のTV局はどうかと、地上波、BS、CS各局のチャネルを覗いて見たがスーチー女史のスピーチの模様を放送している番組は皆無であった。 CNNの方はノルウェーからの映像とスピーチをライブで流し続けつつ、画面下部で文字放送を流している。 サウジアラビアの皇太子逝去のニュースも午後 9 時前に流れていた。 世界のニュースが少ない。 ガラパゴス・・・我国の携帯電話端末はとても優れていても世界標準になりえず国内だけで使われていることを指してこう揶揄するが、我国国民は相変わらず世界の情報から隔離されているように思う。因みにロイターのニュースサイト(日本語!)では、 世界地図 を表示して世界の重要情報発生源を示し ている。 我国のメディアが常に世界地図を念頭に報道するようになるのは果たして何時の事か。 私がCNNに衝撃を受けてから今日までの 30 年、未だこの様なブログを書いている始末である。 6/16/12

書棚の整理中に・・・

  日常の雑事の中でで本棚の整理は、ひときわ時間が掛るが楽しい作業でもある。 昔読んだ本に懐かしさを感じつい手にとって読み始めてしまう事は誰もが経験することだろう。 今もついその表紙を開いてしまった本がある。  1987 年に講談社から発行された糸川英夫博士著「日本が危ない」、その 128 頁に次の様な文章がある。 「イスラエルはまったく違う。砂漠で農業が出来ないから、農産物を輸入すればいいというのではなく、砂漠でも何とか農業ができないものかと、一所懸命に考えて、独自の方法を開発した。それも、砂漠という農業にとっては致命的な悪条件を、逆に利用したすばらしいアイディアである。  ユダヤ人は常に周辺民族との苦しい戦いを強いられ、流浪の旅でも迫害され続けてきた。だから、例え農産物を何処かの国から輸入しても、その国との関係が悪くなって輸入がストップしたらどうしようかと、ずっと先のことまで考える。しかし、日本人はそこまでを考えない。 だから、オイル・ショックの様な事が起こると、とたんに狼狽し、日本中がパニックにおちいる。  日本も先のことを考えて原子力の利用をしているのではないかという人もあろう。その原子力発電にしても、海外からの輸入技術で、日本人が独自に開発したものではない。 しかも、廃棄物の再処理問題も解決していないうちに、何処かの国で再処理技術も開発してくれるだろうから、そのときに処理技術を導入すればいい。 それまでは、どこかにためておけ。  これで、先の事を考えたつもりなのである。」  上述の状態は 25 年を経過した今も余り変わっていない。 糸川英夫博士は 1996 年徳間書店から出版したその著書「日本でくらしたい日本人のために、これだけは言っておきたい  -   21 世紀への遺言」170頁以降に次の様な文章をも残している。 少し長いがここに引用する。  「 核開発をめぐる人間のおごり  もう一つの話をします。世界中のマスコミの大反対の中で、フランス政府は、南太平洋のムルロワ環礁で核実験を強行しました。今後も、核兵器開発は止みそうもありません。  ここで、考えてみたいのは、第一に「核技術とは何であるか」ということと、第二に『民生技術はどうなのか」、第三に「核技術と我々の、経済状況、社会状況とのかかわり』です。  まず、第一の核技術とは、ウラ

書棚を整理中に。。。

日常の家事の内で本棚の整理は、ひときわ時間が掛る作業だ。 昔読んだ本に懐かしさを感じつい手にとって読み始めてしまう事は誰もが経験することだろう。 今もついその表紙を開いてしまった本がある。  1987 年に講談社から発行された糸川英夫博士著「日本が危ない」、その 128 頁に次の様な文章がある。 「イスラエルはまったく違う。砂漠で農業が出来ないから、農産物を輸入すればいいというのではなく、砂漠でも何とか農業ができないものかと、一所懸命に考えて、独自の方法を開発した。それも、砂漠という農業にとっては致命的な悪条件を、逆に利用したすばらしいアイディアである。  ユダヤ人は常に周辺民族との苦しい戦いを強いられ、流浪の旅でも迫害され続けてきた。だから、例え農産物を何処かの国から輸入しても、その国との関係が悪くなって輸入がストップしたら同しようかと、ずっと先のことまで考える。しかし、日本人はそこまでを考えない。 だから、オイル・ショックの様な事が起こると、とたんに狼狽し、日本中がパニックにおちいる。  日本も先のことを考えて原子力の利用をしているのではないかという人もあろう。その原子力発電にしても、海外からの輸入技術で、日本人が独自に開発したものではない。 しかも、廃棄物の再処理問題も解決していないうちに、何処かの国で再処理技術も開発してくれるだろうから、そのときに処理技術を導入すればいい。 それまでは、どこかにためておけ。  これで、先の事を考えたつもりなのである。」  上述の状態は 25 年を経過した今も余り変わっていない。 糸川英夫博士は 1996 年徳間書店から出版したその著書「日本でくらしたい日本人のために、これだけは言っておきたい  -   21 世紀への遺言」170頁以降に次の様な文章をも残している。 少し長いがここに引用する。  「 核開発をめぐる人間のおごり  もう一つの話をします。世界中のマスコミの大反対の中で、フランス政府は、南太平洋のムルロワ環礁で核実験を強行しました。今後も、核兵器開発は止みそうもありません。  ここで、考えてみたいのは、第一に「核技術とは何であるか」ということと、第二に『民生技術はどうなのか」、第三に「核技術と我々の、経済状況、社会状況とのかかわり』です。  まず、第一の核技術とは、